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大阪地方裁判所 昭和37年(ワ)310号 判決

原告

ゼ・カリコ・プリンターズ・アソシエイシヨン・リミテツド

右代理人弁護士

湯浅恭三

外七名

右補佐人弁理士

小田部平吉

被告

東洋紡織株式会社

右代理人弁護士

兼子一

外一〇名

右補佐人弁理士

秋山礼三

外一名

主文

原告の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事   実≪省略≫

理由

一  (前提となる事実関係)

原告が英国ランカシヤー州マンチエスター市一、オツクスフオード・ストリート、セントジエームス・ビルデイングに本店を有し、織物の製造・加工および捺染を業とする英国法人であること、被告が大阪市北区堂島浜通二丁目八番地に本店を有し、紡織および各種の繊維の製造販売業を営む会社であること、原告が甲乙両特許(請求原因二、記載)の特許権者であること、甲乙両特許については、英国ICI社が原告から実施権を得、またわが国では、東洋レーヨン株式会社および帝人株式会社の二社が昭和三三年から「テトロン」の商標を付したポリエステル繊維(ポリエチレンテレフタレート繊維)を製造販売していることは、いずれも当事者間に争いがない。

二  (甲特許の内容)

甲特許の願書に添付した明細書特許請求の範囲の項に、「系グリコールをテレフタール酸またはテレフタール酸の低級脂肪族エステルと反応させ、反応生成物を加熱して高重合された状態のエステルとすることを特徴とする高重合結晶性または高重合微晶性物質の製造法」なる記載が存することは当事者間に争いのないところ、右の記載を整理すると、

1、(イ)  系グリコール

(ロ) テレフタール酸またはテレフタール酸の低級脂肪族エステル

2、(イ) 右両者を反応させ、

(ロ) 反応生成物を加熱して高重合された状態のエステルとすることによる

3、高重合結晶性又は高重合微晶性物質の製造法ということになる。

しかして、右の各記載のうち、

1、系グリコール(ただし、nは2以上の整数を意味する)がポリメチレングリコールとよばれる二価アルコールであつて、このうちnが2のもの、すなわちがエチレングリコールであること、テレフタール酸がなる示性式で示される二塩基性酸であり、また、テレフタール酸の低級脂肪族エステルが(ただし、Rは低級脂肪基をあらわす。このうちnが1のものがテレフタール酸のジメルエステル、テレフタール酸ジメチルまたはジメルテレフタレートとよばれるものである)なる式で示される化合物であること、

2、右両物質を反応させることが第一の工程であつて、この工程においてテレフタール酸のジグリコールエステル(エチレンゴリコールを用いた場合は、ビス―β―ヒドロキンエチルテレフタレート、テレフタール酸のジエチレングリコールエステル、エチレンテレフタレートなどとよばれる。以下、Tエステルという)なる単量体が生成されること、その反応が次の式によつてあらわされること、

(a)  テレフタール酸とエチレングリコールとを反応させる場合(エステル化反応)

(b)  テレフタール酸ジメチル(テレフタール酸の低級脂肪族エンテル)とエチレングリコールとを反応させる場合(エステル交換反応)

「反応生成物」とは右の第一工程において生成されたTエステルのことであり、第二の工程においては、これを加熱することによつて互に反応させ、エチレングリコールを離脱させつつ、繰り返し重合反応を生ぜしめて高重合度のエステルを生成させること、第二工程の反応が左の式によつて示されること、

3、「高重合結晶性又は高重合微晶性物質」とは、ある構成単位が繰り返し化学的に結合してできた物質であつて、結晶(分子または分子の部分が規則正しく配列した状態)をつくりうる能力を具えたものであること、

以上の諸点についてはいずれも、当事間に争いのないところである。

三  (乙特許の内容)

乙特許の願書に添付された明細書の特許請求の範囲の項に、「高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルを鎔融状態にて線条に製造し、次に繊維軸に沿いて分子配列に対する特性あるX線型を示すよう可撓性繊維に冷間引抜を行うことを特徴とする高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルから人造繊維を製造する方法」なる記載が存するとは当事者間に争いのないところ、右の記載を整理すると、

1、高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルを

2、(イ)鎔融状態で線条に製造し、

(ロ)その線条を繊維軸に沿つて分子配列に対する特性あるX線型を示すよう強き可撓性繊維に冷間引抜を行なう

3、人造繊維

の製造法ということになる。

しかして、右の各記載のうち、

1、「高重合ポリメチレンテレフタール酸エステル」とは、ポリメチレンテレフタール酸エステルの高重合されたものであつて、甲特許方法によつて生成される高重合体であること(このうち、エチレングリコールを原料とするものがポリエチレンテレフタレートである)、

2、第一の工程は紡糸工程であつて、右の物質を加熱鎔融して線条とする段階であり、また、第二工程(延伸工程)の「冷間引抜」とは紡糸して線条としたものを一定の温度(原告はこの温度を融点以下の適宜の温度であるとし、被告は常温またはわずかに加熱した温度であるとしているが、被告の右の主張については原告においても強いてこれを争う趣旨ではないと解せられるので、その温度は常温ないしはわずかに加熱した温度であるとしてよい。)で線条の軸方向に引き伸ばす操作のことで、現在では一般に「延伸」とよばれていること、「繊維軸に沿つて分子配列に対する特性あるX線型を示すように」とは「繊維軸に沿つて分子が配列し、X線で調べてみれば特性あるX線型を示すように」との意味であつて操作の方法を示すものではなく、冷間引抜の程度を示すものであること、また、「強き可撓性繊維に」というのも、冷間引抜をした結果強い可撓性繊維になることを示すものであつて、これまた操作としては特段の意味がないこと、

3、右の方法によつて得られる「人造繊維」が強き可撓性繊維であつて、特性あるX線型を示すこと、

以上の諸点については当事者間に争いがない。

四  (被告の実施する重合方法)

しかるところ被告が、米国グツドイヤー社との技術提携により、米国デユポン社の有するD特許の適常実施権を得て、その実施態様の一つである(イ)号重合方法を実施し、現に高重合体を製造していること、(イ)号重合方法が次のごときものであることは、いずれも被告の自認するところである。

1(出発物) (イ)エチレングリコール

(ロ)テレフタール酸またはその低級脂肪族エステル

(ハ)イソフタール酸またはその低級脂肪族エステル

(ただし、(ロ)(ハ)の配合割合は、(ロ)九〇―八五モルパーセント、(ハ)一〇―一五モルパーセントである。)

2(手 段) (イ)右三者を同時に反応させ、

(ロ)反応生成物を冷間引抜性を有するにいたるまで加熱して、

3(目的物) 高重合エチレンテレイソタール酸エステル(ポチエチレンテレフタレート・イソフタート)という共重合体(エチレンテレフタレート単位対エチレンイソフタレート単位は九〇―八五対一〇―一五)

を製造する方法である。

しかして右重合方法において、

1、出発物の(イ)エチレングリコールとはポリメチレングリコールのうちnが2のものであり、また、(ロ)テレフタール酸またはその低級脂肪族エステルが甲特許方法の出発物の一つであるテレフタール酸またはその低級脂肪族エステルと同一であること、(ハ)イソフタール酸はなる示性式であらわされる二塩基性酸であり(テレフタール酸の同族体)、イソフタール酸の低級脂肪族エステルは(ただし、Rは前記テレフタール酸の低級脂肪エステルの場合と同様である)なる式であらわされる化合物であること、

2、手段は二段階に分れ、第一段階においてテレフタール酸(またはその低級脂肪族エステル、以下テレフタール酸で代表させる)とエチレングリコールとが反応してTエステルを生成するとともに、イソフタール酸(またはその低級脂肪族エステル、以下イソフタール酸で代表させる)とエチレングリコールとが反応してビス―β―オキシエチルイソフタレート(イソフタール酸ジエチレングリコールエステル。以下Iエステルという)を生成すること、第二工程においては、第一工程の反応生成物であるTエステルとIエステルとを加熱することによつて互にランダムに繰り返し反応させること、

3、その結果(T単位)と(I単位)とがランダムに結合したランダム共重合体(T単位とI単位との割合は、平均して九〇―八五対一〇―一五である。以下、被告共重合体という)がえられこと、

以上の各点については当事者間に争いがない。したがつて、原告の主張する目録(一)の方法と被告の自認する(イ)号重合方法とは、実質的にはなんら異なるところがないということができる。

五  (被告の実施する紡糸延伸方法)

さらに、被告が(イ)号重合方法によつて得られた被告共重合体を原料として、左のごとき紡糸延伸方法によつてポリエステル繊維を製造していることは被告の自認するところである。

1(出発物) (イ)号重合方法によつて得られた被告共重合体を使用し、

2(手 段) (イ)これを鎔融状態で線条に形成し、

(ロ)その線条を延伸して

3(目的物) 被告共重合体繊維

を製造する方法である。したがつて、原告の主張する目録(二)の方法と被告の自認する(イ)号紡糸方法とはなんら異なるところはない。

六  (甲特許侵害の成否)

しかるところ原告は、被告の実施する(イ)号重合方法は甲特許を侵害するものであると主張し、被告はこれを争うので、以下この点について検討を加える。

(一)(甲特許発明の技術的範囲)

特許権は特許を受けた発明を直接支配する権利であるから、その効力の及ぶ範囲は、特許権の対象である発明の範囲、いいかえれば特許発明の技術的範囲であるということができる。したがつて、本件(イ)号重合方法が甲特許を侵害するかどうかを判断するについては、まず、甲特許の効力の及ぶ範囲、つまりその技術的範囲を明らかにしなければならない。

ところで、「特許発明の技術的範囲は、願書に添付した明細書の特許請求の範囲に基づいて定められなければならない」(特許法七〇条)から、本件甲特許発明の技術的範囲を定めるためには、まず、その明細書の記載を基礎としなければならないというべきところ、右特許請求の範囲の記載が「系グリコールをテレフタール酸またはテレフタール酸の低級脂肪族エステルと反応させ、反応生成物を加熱して高重合された状態のエステルとすることを特徴とする高重合結晶性または高重合微晶性物質の製造法」というにあることは前記のとおりであるから、甲特許発明の方法における出発物が(イ)系グリコールと(ロ)テレフタール酸またはテレフタール酸の低級脂肪族エステルであり、また、その目的物が高重合ポリメチレンテレフタール酸エステル(単独重合体)であることは明らかといわなければならないように思われる。

ところが原告は、右出発物質は系グリコールとテレフタール酸に限定されるものではなくて、それらを反応させた上反応生成物を加熱することによつて「高重合結晶性または高重合微晶性物質」が得られるかぎり、右二物質に第三成分を付加することはなんら排除されておらず、したがつて、甲特許発明の方法は単独重合体だけではなくて共重合体の製法をも含むものであると主張している。なるほど、甲特許の請求の範囲の文言からすると、それが「高重合結晶性または高重合微晶性物質」の製造法を対象とするものであることは疑問の余地がないかのようにみえないわけではない。しかしながら、右特許請求の範囲の「高重合結晶性または高重合微晶性物質」なる記載は、なんら甲特許発明の方法における目的物が「高重合結晶性または高重合微晶性物質」一般であることを示すものではなくて、むしろ、全体の文脈から考えて甲特許発明に対する命名部分とみるべきものであろう。すなわち、右の方法における目的物は、「……特徴とする」なる部分に記載された特定の方法、つまり「系グリコールをテレフタール酸またはテレフタール酸の低級脂肪族エステルと反応させ、反応生成物を加熱して高重合された状態のエステルとすること」によつて生成される特定の物質にほかならないといわなければならないのであつて、右特許請求の範囲に「高重合結晶性または高重合微晶性物質の製造法」なる包括的記載があるからといつて、それのみを根拠に甲特許発明が共重合体の製造法をも含みうると解し、そのことからさらにさかのぼつて、その出発物質が系グリコールとテレフタール酸またはテレフタール酸の低級脂肪族エステル以外の第三成分を含むことを排除するものではないとするがごとき見解はとうてい採ることができないのである。いいかえるならば、甲特許方法における出発物としてポリメチレングリコールおよびテレフタール酸またはテレフタール酸の低級脂肪族エステル以外の第三成分を用いうるかどうかは、製造法に対する命名として右のごとき包括的記載がなされているかどうかにではなくて、そのことが甲特許明細書において開示されているかどうかにかかつているといわなければならないのである。

しかるに、右特許請求の範囲に出発物質として第三成分を用いうる旨の記載が全く存しないことは右にみたとおりであり、また、<証拠>によると、甲特許明細書の「発明の詳細なる説明」の項にも第三原料を用いうる旨の記載は全く見当らないのである。もつとも、第三成分を排除する旨の記載が右いずれの項にも存在しないことは、これまた疑いのないところである。しかし、特許請求の範囲および発明の詳細なる説明の項に第三成分を排除する旨の記載が存在しないということは、明細書に前記のごとき開示がなされているかどうかを判断するについてはさして重要なことではないのであつて、むしろ第三成分を用いうる旨の積極的記載が存在しないことが重要なのである。けだし、特許の対象である技術的思想は、特許明細書、なかんずくその特許請求の範囲に記載されることによつて一般に公開されるものであるから、甲特許方法における出発物として第三成分を用いうるとの思想が開示されているといいうるためには、そのことが積極的に明細書に記載されていなければならないことは当然であり、そのような積極的な記載がない場合には、特段の事情がないかぎり、右のごとき思想は開示されていないというべきであつて、第三成分を排除する旨の記載がないからといつてその結論が左右されるものではないからである。そうだとすると、本件甲特許明細書の特許請求の範囲の項にも、また発明の詳細なる説明の項にも、出発物質として系グリコールとテレフタール酸またはテレフタール酸の低級脂肪族エステル以外の第三成分を用いうる旨の積極的記載が全く存在しない以上、これを排除する旨の記載の有無にかかわらず、かような第三成分を用いうる旨の思想は開示されていないというべきであり、それゆえにまた、甲特許発明における出発物は右二物質に限定され、またその目的物は高重合ポリメチレンテレフタール酸エステル(単独重合体)に限られるといわなければならないのである。

ただ、甲特許明細書に右のごとき積極的記載が存在しない場合でも、甲特許優先権主張日当時における当該技術的分野の通常の専門家が、右明細書を一読することにより、その発明が共重合体の製法をも対象とするものであることを容易に推知することができたものと認められるようなときには、積極的記載がないにもかかわらずなお前記のごとき思想が開示されているものとみることができるから(右はいわゆる特段の事情に当る)、甲特許発明における出発物はなんら右二物質に限定されるものではないといわざるをえないであろう。そこで次に、本件において右のような事情が認められるかどうかについて検討することとする。

<証拠>によると、甲特許優先権主張日時(一九四一年七月二九日)すでに、次のごとき知見が公知であつたことが認められる。

(イ)、重合体が単一の化合物より成るときは、分子鎖の構成単位は一般に同一であろうが、二つまたはそれ以上の同一ではないが化学的に近縁な化合物を相互に反応させるならば、二つまたはそれ以上の異なつた単位から成る分子鎖をつくることができ、かつ、そのような生成物が線状ミクストポリマー(共重合体)とよばれること(一九四〇年に発行され、一九四一年七月一四日に京都大学図書館に受入れられて一般の閲覧に供された「コレクチツド・ペーパーズ・オブ・ウオーレス・ヒーム・カローザス(カローザス報文集)」に記載)

(ロ)構成単位がランダムに結合して共重合する場合、たとえば一種のグリコールと二種の異なる酸から重合体が得られるような場合には、結晶化傾向が減少すること、さらにミクストポリエステルはホモポリエステルよりも低温で鎔融すること(「カローザス報文集」に記載)

(ハ)、ミクストポリマー、たとえば二塩基性酸とグリコールとグリコールとジアミンとを含む混合物とが、オキシ酸とアミノ酸との両方を含む混合物等を加熱することによつて得られるミクストポリエステル・ポリアミド(セパシン酸とデカメチレングリコールと5―アミノカブロン酸との当量混合物を加熱して得られた生成物、エチルセバケートとエチレンジアミンとエチレングリコールとを加熱して得られる生成物など)もまた、スーパーポリマーにすることができること(発明者カローザス、一九三一年六月三日出願、一九三七年二月一六日特許の米国特許第二、〇七一、二五〇号の特許明細書に記載。一九三七年七月二日特許局陳列館受入)

(ニ)、ポリエステルの性質とポリアミドの性質との折衷的性質を得ることを希望して、トリメチレングリコール、ヘキサデカメチレンカルボン酸および2―アミノカブロン酸を一緒に加熱することによりミクスト・ポリエステルーポリアミドを製造したところ、その化合物の物理的性質は純粋なポリエステルとポリアミドの中間に位し、これを強度大で透明な繊維にひくことができたこと(「カローザス報文集」に記載)

(ホ)、ポリアミドの共重合体は、その単独重合体より低沸点溶媒に対する溶解性が高く、澄明なフイルムを形成する傾向を有するが、そのような共重合体の例としては、ジアミンを一つまたはそれ以上のジカルポン酸と混合したものから得られるポリアミド(たとえば、一モルのヘキサチレンジアミンと一モルのデカメチレンジアミン、一モルのセバシン酸および一モルのアジビン酸の混合物より得られるポリアミド)などが挙げられること(発明者のカローザス、一九三七年二月一五日出願、一九四〇年二月二〇日特許の米国特許第二、一九一、三六七号の特許明細書に記載。一九四〇年七月四日特許局陳列館受入)

(ヘ)、二種の異なつた原子集団が化学的に結合して一つの分子を構成し線状重合体をつくる場合、これを共重合体(コポリマー)とよんでいるところ、ジカルボン酸とグリコール酸とを反応させてポリエステルを製造する方法において、酸かグリコールのいずれか一方あるいは両方の一部分を他の酸あるいはグリコールでおきかえることにより、種々のモル比の線状共重合ポリエステルが得られること、すなわち、セバシン酸とコハク酸(モル比一対一)とエチレングリコールとの共縮重合により共重合体(エチレンセバケート・サクシネート)が、セバシン酸とアジピン酸(モル比一対一)とエチレングリコールとの共縮重合により共重合体(エチレンセバケート・アジペート)が、セバシン酸とアゼライン酸(モル比一対一)とエチレングリコールとの共縮重合により共重合体(エチレンセバケート・アゼレート)が、セバシン酸とエチレングリコールとトリメチレングリコール(モル比一対一)との共縮重合により共重合体(エチレン・トリメチレンセバケート)が、セバシン酸とエチレングリコールとイソプロピレングリコール(モル比一対一)との共縮重合により共重合体(エチレン・イソプロピレンセバケート)がそれぞれ得られ、かつ、これらの共重合体のX線回折図はいずれも、エチレンセバケートの回折図を示し、したがつて、分子鎖中に結合している他の単位に比してエチレンセバケートが最も強い結晶化傾向を示していること(一九三八年四月発行の「インダストリアル・アンド・エンジニアリングケミストリ」誌所収のフラー「ミクスト線状縫合体―そのX線的研究」に記載)

(ト)、テレフタール酸、テレフタール酸ジメチルエステルの同族体であるイソフタール酸、イソフタール酸ジメチルエステルがすでに知られた物質であつたこと。

しかして、以上認定の事実からすると、甲特許優先権主張日当時すでに、若干の具体例から、共縮重合反応によつて線状共重合体が得られることが知られており、実験結果にもとづいてそれら特定の共重合体の構造、性質がある程度明確にされていたことは明らかなところである。しかし、これら若干の実験例によつて得られた右のごとき知見から、当該技術分野における通常の知識を有する者が、エチレングリコールとテレフタール酸とを反応させ、その反応生成物を加熱することによつて高融点、難溶性の結晶性単独重合体を得ることができる旨の教示にもとづいて、テレフタール酸とイソフタール酸(モル比九〇―八五対一〇―一五)とエチレングリコールとから共縮重合体を得ることができ、しかもそれが、実用的繊維を形成しうる程度の結晶性、融点、難溶性を有することを、容易に推的することができたかどうかの点については、きわめて疑問であるといわざるをえないのであつて、そのことは前記の(ロ)ごとき知見がすでに公知であつたことからもうかがわれるのである。

元来、過去の一時点において、特定の技術分野における平均的専門家が当時の専門知識にもとづいて、一定の技術的思想から他の技術的思想を容易に推知しえたかどうかの点について判断することは、裁判所にとつてきわめて困難なことであるといわざるをえないのであつて、右の点について的確な判断を下すためには、当該技術分野において特別の学識経験を有する者の意見を参酌することがどうしても必要であるといわなければならない。ところが、右のごとき推知が容易であつたことを肯定する学識経験者の意見は、本件証拠上全くうかがわれないのであつて、わずかに、<証拠>によると、東京大学名誉教授・成蹊大学教授、祖父江寛理学博士が、一九四一年当時すでに、共重合も単独重合と同じ反応様式で進行させうることおよび共重合により一般的傾向として結晶性・融点・耐溶剤性・耐水性が低下することなどが知られていたところから、甲特許発明が開示されれば、当該技術分野における専門的知識を有する者にとつて、例外的場合は別として、一般に右のごとき共重合体を製造する方法は容易に考えうるものであり、実験を待たずして生成すべき物質、すなわち高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルの高結晶性、高融点、高耐溶剤性などの特性が阻止され、したがつて繊維にした場合の強度低下、染色性の変化等の性質の変化の傾向はある程度予測可能であつたと考えられる旨の意見を述べているにすぎない。

のみならず、<証拠>によると、米国ゼ・ポリテクニツク・インステイテユート・オブ・ブルツクリンの学部長であつて、高分子学界における世界的権威であるとされるヘルマン・エフ・マルク博士は、一九四一年当時に、非対称性芳香族ポリエステルが高重合度にまで重合しえたか否かを示すような知見はなく、また非対称性芳香族エステルが高重合度の共重合エステルを生成しうるか否かを示すような知見もなく、このことは当時予測不可能なことであつたし、またカローザスやフラーの報文も、共重合体の基本的特性に関する定量的データーをなんら含まず、しかもその上に、結晶性共重合エステルの性質の変化の一般的傾向さえも示していないところから、右当時に存在した知識にもとづいては、ポリエチレンテレフタレート・イソフタレート(T対Iは九〇―八五対一〇―一五)が摂二四三度の融点を有し、高結晶性であり、結晶格子はポチエチレンテレフタレートと似かよつてはいるがかなり異なつたところの繊維形成物質であることは予測できなかつたであろう、との意見を述べ、さらに<証拠>によると、大阪大学教授谷久也理学博士、京都大学教授、辻和一郎工学博士もまた、ほぼ同様の理由から、一九四一年当時の高分子化学の知見によれば、テレフタール酸、イソフタール酸、エチレングリコールによる共重合ポリエステルの製造は到底考えられることではなく、かりに考ええたとしても、高分子量の共縮重合物が生成するか否か、生成するとしてもいかなる構造、性質の共縮重合物となるかを定量的に予測することは全く不可能であり、実験によつて始めて知りうることであつたと考えられる、との意見を述べているのであつて、以上の各事実を総合して考えるならば、甲特許優先権主張日当時の当該技術分野における通常の専門家が、当時の知識にもとづいて、甲特許明細書の記載から、テレフタール酸およびイソフタール酸(モル比九〇―八五対一〇―一五)とエチレングリコールとから共縮重合体を得ることができ、しかもその共縮重合体が実用的繊維を形成しうる程度の結晶性、融点、耐溶剤性を有するであろうことを容易に推知することができたものと認めることはできないといわざるをえないのである。

そうだとすると、本件においては、前記のごとき特段の事情はなんら存在しないというべきであるから、甲特許発明が共重合体の製法をもその対象とするとの思想はなんら開示されていないといわなければならず、したがつて、甲特許方法における出発物がポリメチレングリコールとテレフタール酸またはテレフタール酸の低級脂肪族エステルに限定され、また、その目的物が高重合ポリメチレンテレフタール酸エステル(単独重合体)に限られるとの前示結論になんらかわりはないといわなければならない。

なお、甲特許方法における手段が、第一段階において右両出発物を反応させ、第二工程においてその反応生成物(Tエステル)を加熱して高重合された状態エステルとすること(被告は、その加熱の程度は「冷間引抜性を有するにいたるまで」加熱することであると主張しており、原告もその点について明らかに争つていない。)であることは、前記特許請求の範囲の記載に照らして明らかなところである。

そこで、以上認定の各事実を総合して判断するならば、甲特許発明の技術的範囲は次のとおりであると認定するのが相当である。すなわち、

(イ)、系グリコール、すなわち、ポリメチレングリコールとテレフタール酸またはテレフタール酸の低級脂肪族エステルを用い(右二物質に限定され、第三成分を含まない)

(ロ)、右両者を反応させ

(ハ)、反応生成物(Tエステルn)を冷間引抜性を有するにいたるまで加熱することにより、

(ニ)、高重合ポリメチレンテレフタール酸エステル(単独重体)

を製造する方法である。

(二)((イ)号重合方法は甲特許発明の技術的範囲に属するか)

しかるところ原告は、被告の実施する(イ)号重合方法は甲特許発明の技術範囲に属すると主張しているけれども、右(イ)号重合方法が、

1、(イ)エチレングリコールと

(ロ)テレフタール酸またはその低級脂肪族エステルとを用い(ただし、(ロ)対(ハ)は九〇―八五対一〇―一五)

2、(イ)右三物質を同時に反応させ、

(ロ)反応生成物(TエステルとIエステル)を冷間引抜性を有するにいたるまで加熱することにより、

3、ポリエチレンテレフタレートイソフタレートというランダム共重合体(T対Iは九〇―八五対一〇―一五)を製造する方法であることは前記のとおりであつて、これを甲特許発明の前記技術的範囲と対比してみるならば、出発物として第三成分、つまりイソフタール酸またはその低級脂肪族エステルが用いられている点および目的物がポリエチレンテレフタレートなる共重合体である点においてこれと異なるものであることは明白であるから、(イ)号重合方法はなんら甲特許発明の技術的範囲に属するものではないといわなければならない。

(三)(利用関係の成否)

しかして原告は、(イ)号重合方法は甲特許発明を利用するものであるから、原告の実施許諾を得ない以上、甲特許を侵害するものであると主張するので、次にこの点について検討する。

原告は、一般に特許発明の利用とは、先行特許発明の技術思想をすべて利用し、これになんらかの技術的付加がなされることであるとし、かつ、本件においては、甲特許明細書の記載および甲特許発明の意義から考えて、その技術思想は、酸成分としてテレフタール酸を用いて繊維形成能力ある高融点の結晶性ポリエステルを得ることであると主張する。

なるほど、<証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。

(a)、甲特許明細書の「発明の詳細なる説明」の項に次のごとき記載が存すること、すなわち、系グリコールの高重合フタール酸エステルは周知であつて、たとえば塗料またはニスの製造に使用されるが、そのいずれも例外なく樹脂状の非晶形物質であつて融点が低く、多くの有機溶剤に自由に溶解するため、強度および可撓性において有用なフイルムまたは繊維を製造することができなかつたこと、脂肪族重合エステルの融点はおおむね重合の程度に無関係であつていかなる場合においても摂氏一一〇度を超えず、またその有機溶剤に対する溶解度は分子量におおむね無関係であること、ところが、テレフタール酸またはテレフタール酸の低級脂肪族エステルを糸グリコールと反応させ、その反応生成物を加熱することにより、高融点(二四〇度以上)、難溶解性かつ結晶性の高重合エステルが得られ、かつこれを冷間引抜することにより、強度および可撓性に富むフイルムおよび繊維を製造することができること、

(b)、甲特許優先権主張日当時すでにわが国において頒布布されていた刊行物である前記「カローザス報文集」に次のごとき記載があること、

(ⅰ)二塩基性酸と二価アルコールとの縮重合による二官能性反応の研究の一部として、エチレンフタール酸エステルを製造した。すなわち、エチレングリコール(一モル)とフタール酸(〇・五モル)とを常圧下に摂氏一九〇度で八時間加熱し、次いで三ミリメートル圧の下に摂氏三〇〇度で三時間加熱することにより、ガラス状樹脂の高重合エチレンフタール酸エステル(平均分子量四、八〇〇)が得られたが、これを結晶化させようとした試みはすべて失敗におわつた。同様の方法で、高重合したトリメチレンフタール酸エステル、ヘキサメチレンフタール酸エステル、デカメチレンフタール酸エステルを製造したが、いずれも透明な樹脂(ゴム状またはシロツプ状)で融点が存在しない。つまり、アルキレンフタール酸エステルのように分子対称性の低い線状ポリエステルは樹肪状(透明なガラス状またはシロツプ状)である。

(ⅱ)右同様の方法で各種の高重合された炭酸グリコールエステルを製造したが、その融点はいずれも低く(三九度ないし六〇度)、最も高いパラキシレンカーボネートにおいても一七七度ないし一八五度である。

(ⅲ)コハク酸と過剰のエチレングリコールとを加熱し、その反応生成物(ジ―β―ヒドロキシエチレンコハク酸エステル)を真空下で加熱するとエステル交換反応が進む。この工程を繰り返すことにより、過剰のグリコールを蒸溜除去しつつ、ポリエチレンコハク酸エステルが製造される。その融点は一〇三度である。

(ⅳ)右と同様の方法で修酸グリコールエステルが製造されるが、その工程では、重合は融点と溶解性の変化を伴なう。すなわち、重合の第一段階では融点は低下するが(たとえば一〇六ないし一一〇度)、単量体を溶媒または触媒の存在もしくは不存在下で加熱することによつて高融点の重合体が合成せられ、最終生成物は一七二ないし一七三度で溶解する不溶性物質となる。

(ⅹ)このように、という系列のグリコールと炭酸、修酸、コハク酸等の系列とから得られるポリエステルはすべて、溶媒から粉末の形で分離され、その粉末は一定の明確な融点を示す。他方、フタール酸から得られる同様なエステルは、つねに透明な非晶状態の樹脂である。

結晶化能力は、その構成単位が高度の線状対称性を有することを必要とするように思われる。その構成単位中にメチル基やフエニル基のような側鎖が存在したりすると、結晶化傾向を減少させる。

(ⅵ)高重合体は数多くの人工品の原料に用いられるが、それが有用な繊維の原料となるために必要な性質はきわめて高い分子量の線状重合体構造とある程度の結晶性、つまり秩序正しい分子配列とに関連があるように思われる。

(c)、甲特許発明の発明者であるウインフイールドおよびデイクソンがポリエチレンテレフタレートの製造法を発明するにいたつたのは、次のような経緯からであつたこと、すなわち、カローザスの研究により、すでに一九三〇年頃には、有機化学上の通常の縮合反応を用いて、高分子量かつ微結晶性で繊維形成能を有する線状縮重合体を合成しうることが明らかにされていたが、カローザスが脂肪族の酸とアルコールとから生成した微結晶性で繊維形成能のあるポリエステルは、前記のごとくいずれもきわめて融点が低かつたところからこれから実用的な繊維をつくることはできなかつた。そこでカローザスは、ポリアミドの研究に注意を向け、ついに高い融点(二〇〇度以上)をもつ脂肪族ポリアミド、すなわち人類最初の合成繊維「ナイロン」を発明するにいたつたのである。一方カローザスは、最初のポリエステルの研究の際に、芳香族二塩基性酸であるフタール酸とポリメチレングリコールとから非晶性の高重合ポリメチレンフタール酸エステルをつくるとともに、縮重合体の結晶性と分子対称性との関係を取り上げ、側鎖が存在したり出発物自体が非対称性であつたりして分子鎖の対称性が妨げられると、生成される重合体は非晶性であつて繊維形成能を有しないであろうとの知見を明らかにしていたのである。かくしてウインフイールドとデイクソンとは、このような知見にもとづいて、フタール酸の同族体(ベンゼンージカルボン酸)で高度の対称構造をもつテレフタール酸のグリコールエステルを生成するならば結晶性で繊維形成能ある高重合体が得られるはずであると考えるとともに、実験によつてこれを確認し、ついにポリエチレンテレフタレートの発明に到達したのである。ウインフイールドがポリエチレンテレフタレートの発明を、みずから「カローザスの業績の論理的延長」であると称しているのも、右のような事情にもとづくものにほかならない。

しかして、以上認定の各事実からすれば、本件甲特許優先権主張日当時、系グリコールと炭酸、修酸、コハク酸等の二塩基性酸とを加熱して反応させ、その反応生成物を高真空下でさらに加熱してエステル交換反応を進行させる方法により、過剰のグリコールを蒸溜除去しながら、高重合された結晶性で繊維形成能ある線状ポリエステルを製造することができること(ただし、低融点)、芳香族二塩基性酸であるフタール酸とグリコールとからも、右と同様の方法で線状ポリエステルを生成することができること(ただし、非晶性)はいずれも公知であり、したがつて、甲特許発明は、繊維形成能ある高融点かつ結晶性のポリエステルを製造するためグリコールと反応させるべき酸成分として、分子対称性のよい芳香族二塩基性酸であるテレフタール酸(またはその低級脂肪族エステル)を用いた点にその新規性を有するものであることは明らかであるといわなければならない。

しかしながら、甲特許発明の新規性の存する右の点をもつて同発明の技術思想であるとし、これを使用することがすなわち甲特許発明の利用であるとする原告の主張は、当裁判所の採らないところである。その理由は以下のとおりである。

特許発明の利用という概念はもともと、特許法七二条に由来するものであつて、同条によると、特許発明が先願の特許発明を利用するものであるときは、業としてその特許発明を実施することができないとされている。いうまでもなく右法条は、特許発明相互の関係を規定したものであつて、ある発明がなんらかの点において新規性ありとして特許された場合でも、それが先願特許発明を利用する関係にあるときは、先願特許権者の許諾なくして自己の特許発明を実施することができないとするものであるが、その趣旨とするところは、右両発明の間に、後願特許発明を実施しようとすればかならず同時に先願特許発明を実施せざるをえないという関係、つまり先願特許発明を実施することなしに後願特許発明を実施することができないという関係が存在するところから、後願特許発明を業として実施するには先願特許権者の許諾を得なければならないとしたものであると解せられるのである。そうだとすると、そこにいわゆる特許発明の利用なる概念は、先願特許発明を実施することなしに後願特許発明を実施することができないような関係を意味するものといわなければならない。

ところで、ある特許発明と後行発明との間に右のごとき関係が生ずるのは、後行発明が特許された場合のみに限られるわけではなく、後行発明が特許されていない場合においても同様の関係が成立しうることはいうまでもないところであつて、特許法七二条はそのうち後行発明が特許されている場合についてのみ規定しているにすぎない。つまり、特許発明の利用関係は、後行発明が特許されていると否とにかかわらず、特許発明を実施することなしにその後行発明を実施することができないという関係が成立する場合に認められるのである。ところが、特許権者の許諾なしにその特許発明を実施することはすなわち、その特許を侵害することにほかならないのであるから、この観点からすれば、特許発明の利用関係は特許権侵害の一態様にすぎないということになり、本件において甲特許発明の利用関係が問題となりうるのも、その意味においてであるにほかならないといわねばならないのである。

このように考えてくると、本件(イ)号重合方法が甲特許発明を利用することによつてこれを侵害するものかどうかは、甲特許発明を実施することなしに(イ)号重合方法を実施することができないという関係が成立するかどうか、つまり、(イ)号重合方法が甲特許発明の要旨ないしはその技術的範囲に属する重合方法「以下、甲特許重合方法という)をそつくりそのまま含むものかどうかによつて決せられるものといわなければならない。そもそも化学方法の特許では、出発物、操作(処理)手段、目的物の有機的な一体性(結合)が特許要旨を構成しており、これらの一体関係が発明思想であつて、甲特許発明の技術的範囲もまた前記認定のごとく、その発明における新規部分たる出発物質としてテレフタール酸またはその低級脂肪族エステルを用いる点のみならず、その他の公知部分をも含んだ方法全体に及ぶものであり、それら新規部分、公知部分で有機的に一体となつて不可分的に甲特許発明の方法を構成していることは明らかであるから、酸成分としてテレフタール酸を用いて繊維形成能ある高融点の結晶性ポリエステルを得るとの技術思想だけをそのまま使用することがすなわち甲特許の利用であるとする原告の前記主張は、とうてい採用することができないのである。

そこで、以上のような観点に立つて(イ)号重合方法が甲特許発明を利用するものかどうかについて判断することとするが、この点を判断するには、まず最初に、甲特許の要旨ないしはその技術的範囲に属する重合方法を構成する要素である出発物質、手段および目的物とこれらの結合関係と、(イ)号重合方法を構成する要素である出発物質、手段および目的物とこれらの結合関係とをそれぞれ比較してその異同を明らかにすることが捷径であると考えられるので、以下右の各点について比較検討することとする。

(a)出発物  甲特許重合方法における出発物が系グリコール、すなわちポリメチレングリコールとテレフタール酸(またはその低級脂肪族エステル)であること、(イ)号重合方法における出発物がエチレングリコールとテレフタール酸(またはその低級脂肪族エステル)とイソフタール酸(またはその低級脂肪族エステル)であつたこと、エチレングリコールが系グリコールの一種、すなわちであることはいずれも前記のとおりであるから、(イ)号重合方法の出発物には甲特許重合方法の出発物が全部含まれており、甲特許重合方法の出発物であるエチレングリコールとテレフタール酸またはその低級脂肪族エステルを使用する点において両方法がその軌を一にするものであることは明らかであり、ただ、(イ)号重合方法にあつては右二物質のほかにイソフタール酸(またはその低級脂肪族エステル)が出発物に付加されているにすぎないといわなければならない。

この点について被告は、(イ)号重合方法におけるエチレングリコールとテレフタール酸の使用は甲特許重合方法におけるそれと全く意義および目的を異にし、また、(イ)号重合方法におけるイソフタール酸の使用は単なる出発物の付加にとどまるものではないと主張する。なるほど、(イ)号重合方法におけるエチレングリコールとテレフタール酸との使用が、それらとイソフタール酸との三者間の共重合反応を生ぜしめるためのものであるのに対し、甲特許重合方法におけるポリメチレングリコールとテレフタール酸との使用が右両者間の重合反応(単独重合を生成する)をおこさせるためのものであることは疑いのないところであろう。しかし、物を製造する方法における出発物がその方法全体においていかなる意義を有するかということと、その出発物自体が何であるかということとは別個の事柄であり、かつ、出発物の比較という点に立てば、まず出発物自体の比較がなさるべきであつて、その出発物自体もしくは出発物の付加が甲特許重合方法全体においてどのような意義を有し、もしくはこれにどのような意義を有し、もしくはこれにどのような影響を与えるかは、考慮の対象とはならないといわなければならないのである(もつとも、全体としての方法の異同を総合的に判断するにあたつて、その点が考察の対象となることはいうまでもないであろう)。

(b) 手段  甲特許重合方法における手段の第一段階が出発物を反応させることであり、第二段階がその反応生成物を冷間引抜を有するにいたるまで加熱することであること、また、(イ)号重合方法における手段の第一段階が出発物をたがいに反応させ、第二段階がその反応生成物を冷間引抜性を有するにいたるまで加熱することであることは、いずれも前記認定のとおりであるから、甲特許重合方法と(イ)号重合方法とは手段の点においてなんら異なるところはないということができる。

この場合、甲特許重合方法における出発物が前記二物質であり、また、(イ)号重合方法における出発物が前示三物質であるところから、甲特許重合方法にあつては、第一工程においてポリメチレングリコールとテレフタール酸との反応によりTエステルを生成し、第二工程においてTエステルを繰り返し反応させ、T単位のつながりが平均五〇以上の高重合ポリメチレンテレフタール酸エステル(単独重合性)を生成する反応がおこるのに対し、(イ)号重合方法にあつては、第一工程においてTエステルとともにIエステルを生成し、かつ、第二工程においてTエステルとIエステルとを繰り返し反応させ、T単位をI単位とがランダムに結合したランダム共重合体が生成する反応がおこることは前記認定のとおりである。したがつて、(イ)号重合方法の第二工程において甲特許重合方法の第二工程の反応、つまりT単位のみが平均して五〇以上結合した単独重合体を生成する反応が欠如していることは明らかである。しかし、物を製造する方法を構成する要素の一つである手段とは、要するに、出発物に対していかなる操作(処理)を加えるかを特定する操作手段にほかならないのであつて、そのことは、化学方法によつて物を製造する方法においてもなんらかわりはないのである。すなわち、化学方法の特許の場合においても、ある物に一定の操作手段・反応条件を加えることによつて特定の性質を有する目的物が生成するという外的現象(特定の解決手段とその作用効果との間の外部的因果関係)が明らかにされ、目的物の性質からそれが化学反応を伴うものであることが知られるかぎり、そのような外的現象の背後において、いかなる自然法則にもとづいてどのような化学反応が進行したかを明確にするまでもなく、化学方法の構成ないしは特定としては十分なのであつて、その意味において、化学方法の特許においても、化学反応自体はその方法を構成し、特定するための不可欠の要素であるとすることはできず、したがつてそこにおける手段とは、化学反応自体を含むものではなくてそのような化学反応を生ぜしめるための操作手段ないしは反応条件を意味するものといわざるをえないのである。もちろんそれだからといつて、化学反応が化学特許における方法方法の異同を判断するについてなんらの意味をも持ちえないものでないことは、いうまでもないところであるけれども、そのことが考察の対象となるのは、目的物の異同ないしは出発物における付加が方法全体に対しどのような影響を及ぼすかを検討するさいにおいてであつて、手段の異同を比較するにさいしてではないといわなければならないのである。(だから前記ような反応の欠如だけで(イ)号重合方法が甲特許方法を利用するものでないといいきることはできない)。

(c)目的物  甲特許方法の目的物が高重合ポリメチレンテレフタール酸エステル、すなわちT単位のみが五〇以上結合した単独重合体であるのに対し、(イ)号重合方法における目的物がポリエチレンテレフタレート・イソフタレート(九〇〜八五対一〇〜一五)、すなわちT単位とI単位とがランダムに結合したランダム共重合体(T単位とI単位との割合は平均して九〇〜八五対一〇〜一五)であること、右両物質が化学構造を異にする別物質であることは当事者に争いのないところである。

(d)構成要件の比較の結論  以上の比較検討の結果を要約すると、(イ)号重合方法にあつては、その出発物質において甲特許重合方法の出発物が全部含まれ、また、手段においても甲特許重合方法のそれとなんら異なるところはないけれども、出発物においてイソフタール酸(またはその低級脂肪族エステル)の付加があり、その結果T単位とI単位とがランダムに結合したランダム共重合体が生成する反応がおこり、その目的物として甲特許重合方法による、T単位のみの単独重合体とは化学構造を異にする別物質であるランダム共重合体を生成する点において異なつており、このような異つた点のあること自体からみると、(イ)号重合方法は一見甲特許発明の要旨をそつくりそのまま含むものではないといわざるをえないかのように思われのである。しかし、物質特許ではなくて方法の特許である甲特許の重合方法と比較して、その目的物が化学構造を異にする別物質であるというだけでは、(イ)号重合方法が甲特許発明の要旨をそつくりそのまま含むものではないと判定することはできないであろう。けだし、物を製造する方法の発明の特許にあつては、その方法によつて製造された物自体はもちろんのこと、その方法によつてもたらされる作用効果を保護の対象とはせられないのであつて、そのような作用効果をもたらす解決手段のみが保護されるからである。

けれども、化学方法の特許では構成要件における出発物から操作(処理)手段を経て、ある特定の目的物の生成という有機的なつながりの一体関係が発明思想であるから、出発物に第三成分を付加することによつて生成される目的物の本質的性格が変化したり、あるいはその有用性効能が著しく増大したりするとき、つまり作用効果が著しく異なるときは、付加前の目的物が生成されずにこれとは異質の目的物が生成されるのであつて、そのことは付加前の出発物操作(処理)手段そして特定の目的物の生成という構成要件のつながりの一体関係が破られていることを示すもの外ならない、この場合には付加に基因して新たなつながりの一体関係が生じているみるべき場合である。すると、そこには付加前の発明思想がそのまま含まれているわけでないから、利用関係は成立しないといえるであろう。つまり、第三成分の付加によつて全く性質を異にする解決手段となつたのであつて、方法としては全く別個のものといわなければならないのである。その限りにおいて作用効果もまた、特許権による直接の保護の対象である方法を比較するうえで重要な意義を有するものというべきであり、その意味で本件においても、甲特許重合方法と(イ)号重合方法との目的物の性質の比較がどうしても必要となつてくるといわなければならないである。そこで以下、目的物の性質を比較検討することとする。

<証拠>によると、甲特許重合方法の目的物である高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルと(イ)号重合方法の目的物である被告共重合体とは、右のごとく物質的に異なるものであることにもとづいて、融点、結晶性、結晶構造、溶解性などの基本的性質において相違することが認められるところ、それらの基本的性質のうち主なものを挙げれば次のとおりである。

(ⅰ)融点・融解範囲  <証拠>によると、ポリエチレンテレフタレートの融点は摂氏二六三・四度(偏光顕微鏡融点測定法によると二六二度、示差熱分析法によると二六四度)、デラトメーター法によると二七三度)、その融解範囲は約二四〇度ないし二六八度であるのに対し、被告共重合体のうちT単位とI単位との割合が九〇対一〇のものの融点は約摂氏二四〇度(偏光顕微鏡融点測定法によると二三八度、示差熱分析法によると二四六度、デラトメーター法によると二五二度)、その融解範囲は約二〇〇度ないし二五四度であることがそれぞれ認められる。

(ⅱ)結晶性・結晶構造  <証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。

(イ)、ポリエチレンテレフタレートも被告共重合体もともに結晶性高重合物質であること、

(ロ)、被告共重合体の結晶化速度はポリエチレンテレフタレートのそれに比較してはるかに遅いこと(両者の融点の差二十二、三度を考慮に入れてその半結晶化時間を比較してみると、被告共重合体では、一九八度一五・七分、二一三度六八分、二二〇度で一〇一分、二二五度で五三〇分であるのに対し、ポリエチレンテレフタレートでは、二二〇度で一・六分、二二五度で七・六分、二三〇度で二〇・三分、二三五度で四七・〇分である)

(ハ)、被告共重合体を紡糸延伸してえられる繊維の結晶部分は主としてT単位より成るが、それがT単位のみによつて構成されているという決定的な証拠はなく、また、I単位はその非晶部分のみならず結晶部分にも存在すると考えられるが、これに対しても決定的な証拠がないこと

(ⅲ)耐溶剤性  <証拠>によると、ポリエチレンテレフタレートと被告共重合体(九〇対一〇)とは、各種溶媒のうち、四塩化炭素、クロロホルム、アセトン、メタノールに対してはその沸点または摂氏一五〇度までの温度でいずれも不溶、塩化ベンゾイル、ベンジルアルコール、ジオキサス、ピリジン、ブロムベンゼンに対しては摂氏八〇度(五分間加熱)いずれも不溶、また、クロロホルム4対フエノール1、テトラクロロエタン1対フエノール1、濃硫酸八五パーセントに対して三〇度(室温)でいずれも可溶であるが、エチレンクロールヒドリン、ジメチルホルムアルデヒド、ピリジン、臭化エチレン、シクロヘキサノンに対しては、被告共重合体(九〇対一〇)は沸点または摂氏一五〇度までの温度で可溶であるが、ポリエチレンテレフタレートは右の温度では不溶であることがそれぞれ認められる、

(e)方法全体の比較検討  以上のようにみてくると、甲特許重合方法の目的物である高重合ポリメチレーテレフタール酸エステルと(イ)号重合方法の目的物である被告共重合体とが化学構造を異にする別物質であり、その物質としての差異にもとづいて、融点、結晶性、溶解性などの基本的性質において相違していることは明らかなところである。しかしながら、ウインフイールドおよびデイクソンの発明にかかる甲特許重合方法がポリメチレングリコールと反応させる二塩基性酸としてテレフタール酸を用い、これを高重合させることによつて、先行技術が解決しえなかつた高融点、難溶性かつ結晶性で実用的繊維を形成しうるポリエステルの生成という課題を解決したことはすでにみたとおりであり、また、その融点、結晶性、耐晶性、耐溶剤性などの点においてポリエチレンテレフタレートと被告共重合体との間に相違の存することは右のとおりであるけれども、その差異は比較的軽度のものであつて、融点については二十二、三度の差異、耐溶剤性についてはエチレンクロールヒドリン、ジメチルホルムアルデヒド、ピリジンなど数種の特殊な溶媒に対する溶解性の差異、結晶性についてに結晶化速度および結晶構造における若干の差異があるのみであつて、実用的繊維を形成しうるポリエステルの製造という観点からすれば、右の差異は甲特許重合方法と(イ)号重合方法とを全く性格の異なる別異の方法たらしめるほどのものとは認められないように思われるのである。

しかしながら一方、ポリエチレンテレフタレートおよび被告共重合体を紡糸延伸して繊維とし、これを織物にした場合の性質は後に認定(後記七の(二))するとおりであつて、被告共重合体繊維がポリエチレンテレフタレート繊維に比べて、後者の大きな欠点とされていた染色性(染色速度、染着性など)においてはるかにすぐれ、また、耐ピリング性)ピリングとは織物を着用している間にその外面に生じる毛玉のこと)においてもすぐれていることが認められ、この点において(イ)号重合方法と比較して新規かつ著大な効果をもたらす方法であるといわなければならないのである。しかも、(イ)号重合方法によつてこのような新規かつ著大な効果(特に染色性)がもたらされたのは、単独重合体であるポリエチレンテレフタレートが高い結晶性・配向性を有し、したがつて繊維構造が緻密で染料分子が侵入しにくいのに対し、被告共重合体が繊維構造の若干粗いランダム共重合体であることによるものであることは後に認定するとおりであり、かつ、ポリエチレンテレフタレートが右のごとき単独重合体であるのに対して被告共重合体がそのような繊維構造をもつランダム共重合体となつたのは、すでに認定したとおり、甲特許重合方法における出発物がポリメチレングリコールとテレフタール酸の二物質であり、(イ)号重合方法における出発物がエチレングリコール、テレフタール酸、イソフタール酸の三物質であるところから、甲特許重合方法にあつては、第一工程においてTエステルを生成し、第二工程においてTエステルを繰り返し反応させてT単位のつながりが平均五〇以上の高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルを生成する反応がおこるのに対し、(イ)号重合方法にあつては、第一工程においてTエステルとともにIエステルを生成し、さらに第二工程においてTエステルとIエステルとを繰り返し反応させて、T単位とI単位とがランダムに結合したランダム共重合体が生成する反応(共縮重合反応)が生起したからにはほかならないのである。

このようにみてくると、甲特許重合方法と(イ)号重合方法とは、出発物としてエチレングリコールとテレフタール酸とを用いる点において一致し、手段においてもなんら異なるものでなく、またその目的物の性質においても、実用的繊維の製造という観点からすれば多くの点において差異はあるがきわめて類似しているといわざるをえないことは前記のとおりであるけれども、甲特許重合方法は単独重合体である高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルを生成するための右のごとき重合反応を目的とするものであるのに対し、(イ)号重合方法は、これとは全く異つた化学反応であつて、しかも甲特許重合方法によつてはもたらされえない新規かつ著大な効果を伴うところの共重合反応を目的とするものであるから、両者は重合方法としては異なる性格をもつた別異のものであるといわざるをえないのである。

さらに、甲特許優先主張日当時すでに、若干の具体例から、共縮重合反応によつて線状重合体が得られることが知られており、実験結果にもとづいてそれら特定の共重合体の構造、性質がある程度明確にされていたことは前記のとおりであるから、共縮重合反応によつて共重合体を製造する方法そのものは全く新規な方法であつたということはできないけれども、右のごとき知見にもとづいて、当該技術分野における通常の知識を有する者が、テレフタール酸とイソフタール酸(モル比九〇〜八五対一〇〜一五)とエチレングリコールとから、実用的繊維を形成しうる程度の結晶性、融点、耐溶剤性等を有し、しかもなお染色性、耐ピリング性においてポリエチレンテレフタレートよりもはるかに優れた共重合体を得ることができるものと容易に予測しえたと認め難いこともまた、前記のとおりであるから、右当時の技術水準からするならば、(イ)号重合方法と甲特許重合方法とは重合方法として別異のものであつたとみるのが妥当であり、したがつて、(イ)号重合方法の中に甲特許重合方法がそつくりそのまま含まれているという関係は、これを認めることができないといわなければならないのである。

以上のとおりであるとすれば、結局、(イ)号重合方法が甲特許発明の要旨ないしその技術的範囲に属する重合方法をそつくりそのまま含んでいるものと認めることはでないことに帰するから、(イ)号重合方法はなんら甲特許発明を利用することによつてこれを侵害するものではないというべきである。

(四)(直接的侵害の成否)

さらに原告は、(イ)号重合方法においては、理論上、T単位のみから成る分子も、またT単位のみから成る分子と同視されるような分子も、数はわからないけれどもかならず生成されるのであるから、その意味において(イ)号重合方法は甲特許を直接に侵害するものであると主張している。なるほど、(イ)号重合方法の第二工程が、第一工程の反応生成物であるTエステルとIエステルとを加熱することはよつてこれをたがいにランダムに繰り返し反応させて高重合体を生成させるものであることは前記のとおりであるから、そのさい、一定の確率で、T単位のみのつながりによつてできた分子またはT単位のみのつながりによつてできた分子鎖の末端にI単位が結合した分子が生成されることは、理論上これを否定することはできないであろう。

しかしながら、高重合ポリエチレンテレフタール酸エステル、被告共重合体などのような分子量の大きないわゆる高分子物質が、低分子の物質の場合とは異なり、均一の分子ではなくて分子量の異なる分子(共重合体の場合は構成単位の組成も異なつた分子)から成つており、そのような分子量の異なる分子の集合体が全体として一つの物質を構成していることは当事間に争いのないところである。しかして、甲特許重合方法が、右のごとく分子量の異なる分子の集合体が全体として一つの物質を構成している高分子物質を製造する方法に関するものであつて、それらの物質を構成している個々の分子を製造する方法に関するものでないことは明らかであるから、かりに被告重合体を構成する個々の分子中に理論上T単位のみのつながりによる分子の存在が考えられるとしても、そのような分子のみによつて構成された物質(すなわち高重合ポリメチレンテレフタール酸エステル)が被告共重合体中に混在することが確認されない以上、(イ)号重合方法が甲特許を直接に侵害するものということはできないのである。しかるに、被告共重合体中に高重合物質としての高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルが混在するとの点についてはなんらの証拠も存在しないのであるから、原告が主張するような意味において(イ)号重合方法が甲特許を直接に侵害するものであるとはとうてい認めることができない。

七  (乙特許侵害の成否)

次に原告は、被告の実施する(イ)号紡糸方法は乙特許を侵害するものであると主張するので、以下この点について判断することになるが、この点の判断をなすのに、まず乙特許発明の技術的範囲を明らかにしておく必要があることについては、甲特許の場合におけると同様であるから、最初にこの点を取り上げて検討することとする。

(一)(乙特許発明の技術的範囲)

乙特許明細書の特許請求の範囲に、「高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルを鎔融状態にて線条に製造し、次に繊維軸に沿いて分子配列に対する特性あるX線型を示すよう強き可撓性繊維に冷間引抜を行うことを特徴とする高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルから人造繊維を製造する方法」なる記載が存することは前記のとおりであつて、これと右記載に関する前記争いのない事実(乙特許の内容)とをあわせ総合すると、乙特許発明の技術的範囲は次のとおりであると認定するのが相当である。すなわち、

(イ)、高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルを出発物質として用い。

(ロ)、これを加熱溶融して線条に製造し。

(ハ)、その線条を、常温またはわずかに加熱した温度で、繊維軸に沿つて分子が配列しそれをX線で調べれば特性あるX線型を示すようになるまで線条の軸方向に延ばす(冷間引抜または延伸)ことにより。

(ニ)、強くかつ可撓性の高重合ポリメチレンテレフタール酸エステル繊維を製造する方法(以下。乙特許紡糸方法という)である。

しかして、<証拠>によると、昭和一二年七月二日(乙特許の優先権主張日の約八年前)に特許局陳列館に受け入れられた米国特許第二、〇七一、二五〇号明細書(発明者カローザス、線状縮重合体の発明)に、二塩基性酸とグリコールとからつくられたポリエステルを高重合された状態にすることができ、かつ、その重合体を加熱鎔融したうえ、これに棒を触れさせてその棒を引き離すと容易に重合体の線条が得られること(実際の製造方法では小さいノズルもしくは口金を通して紡糸する方法が使われる)、この線条を常温またはわずかに高い温度で引つ張ると線条は延びたままの状態になること、この方法でつくられた繊維は引つ張る前の線条と比較してはるかに強く、可撓性も弾性を大きいこと、この線条を通常の方法でX線法によつて測定すると、特有の分子配向をした繊維のX線図を示すこと、重合体に新規な性質を付与するこのような方法を「冷間引抜」とよぶこと、などが記載されていることも認められるのであつて、右認定事実からすると、乙特許紡糸方法は、乙特許優先権主張日当時その出発物の点を除いてすで公知であつたといわなければならず、同方法における新規性はもつぱら、その出発物に高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルを用いた点にあるといわなければならない。

(二) ((イ)号紡糸方法は乙特許紡糸方法と均等の方法であるか)

しかるところ原告は、(イ)号紡糸方法は乙特許紡糸方法と均等の方法であるから乙特許を侵害するものであると主張するので、次にこの点について考察する。

一般に、ある特許発明の均等物・均等方法がその特許権侵害の一態様であるとされるのは主として次の理由によるものと考えられる。すなわち、特許制度は、新たな技術を一般に公開した発明に対し、その報償として公開した技術について排他的権利を与えることによつて、発明者の創造的業績の保護と利用とを図り、そのことを通じて産業の発達に寄与せんとする制度であるから、特許権による保護の及ぶ範囲は、公開された技術の範囲に一致するといわなければならない。しかして、特許制度における技術の公開は、特許明細書、なかんずくその特許請求の範囲の項においてなされるのであつて、特許法七〇条が「特許発明の技術的範囲は、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基いて定められなければならない。」と規定しているのも、そのゆえに、ほかならないと解される。したがつて、特許権の保護の及ぶ範囲は、特許請求の範囲に明示された技術的思想に限られ、それ以外には及ばないのが原則であるといわなければならない。

しかし、特許請求の範囲の記載はかならずしもつねに正確かつ完全になされうるものとは限らず、また特許明細書による発明の公開が、一般人に対してではなくてその発明の属する技術分野における通常の知識を有する者を名宛人としてなされるものであることは、特許法三六条四項の規定に照らしても明らかなところであるから、特許明細書の特許請求の範囲の項に明示されていない技術的思想であつても、右のような知識を有する者が明細書の全体を合理的に理解した結果、自己の専門知識と特許出願当時に公知であつた先行技術とにもとづいて、それが明細書の中に疑問の余地のないほど明確に含まれていると容易に判断できるような場合には、かような技術的思想もまた公開されたものとして、特許権による保護の対象とされるといわなければならないのであつて、特許権の保護が均等物、均等方法にまで及ぶとせられるのもそのゆえにほかならないのである。

このように考えてくると、特許発明の均等方法とは、原告の主張するように、本質的に同一(本質的に同じもの)の原料を用いて同一の手段を施し、本質的に同一(その効果においてて全くひとしい)の目的物を生成する方法ではなくて、特許発明の技術的思想からみてある方法が特許発明の技術要素と機能を同じくし、これと取り換えてみても同一の作用効果を生じ(置換可能性)、かつ、そのことが特許出願当時(または優先権主張日当時)における平均水準の技術家にとつて容易に推考しうるような(予測可能性)方法であると解するのが相当である。

そこで、右のような観点に立つて本件(イ)号紡糸方法が乙特許紡糸方法と均等の方法であるかどうかを考えてみるに、(イ)号紡糸方法が被告共重合体を使用してこれを鎔融状態で線条に紡糸し、その線条を冷間引抜(延伸)することによつて被告共重合体繊維を製造する方法であることは前記のとおりであり、また、その紡糸延伸技術が乙特許優先権主張日当時すでに公知であつたことは右にみたとおりであるから、(イ)号紡糸方法が乙特許紡糸方法と均等の方法であるかどうかは、出発物として高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルのかわりに被告共重合体を用いることが右の置換可能性、予測可能性の二要件を充たすかどうかにかかつているといわなければならない。

(ⅰ) 置換可能性  被告共重合体が高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルと比較して融点が低く、また結晶化速度が遅いことは前記認定のとおりであるから、高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルにかえて被告共重合体を出発物として使用することにより、より低い温度、より少ない圧力で紡糸することができ、また延伸も容易であることが考えられ、また、<証拠>によると、右の事実が実験的にも確かめられていることが認められるのであつて、この点からすれば、被告共重合体は、紡糸延伸工程において高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルと同一の機能を果たすものではないといわざるをえないのである。さらに、被告共重合体繊維が、これを織物とした場合に、(a)強くて丈夫である、(b)水に入れても伸縮が少ない、(c)洗濯し易く乾燥が早い、(a)型くづれせずしわになりにくい、などの諸性質をもち、その点において高重合ポリメチレンテレフタール酸エステル繊維と類似していることは当事者間に争いのないところであるが、<証拠>を総合すると、次の各事実が認められるのである。

(イ)  ポリエチレンテレフタレート繊維は結晶性ならびに配向性が高く、したがつて繊維構造が緻密であるため、染料分子が侵入しにくく、染色速度、染着性のいずれにおいても劣つていること、

(ロ)そこでポリエチレンテレフタレート繊維にあつては、染色性向上のために、実用上、摂氏一〇〇度よりもはるかに高い温度で染色する方法(高温染色法)または、特殊な添加物を使用して染色する方法(キヤリアー染色性)を用いざるをえないこと、

(ハ)一方、被告共重合体繊維は、ポリエチレンテレフタレート繊維ほど繊維構造が緻密でないため、これを市販の分散染料で染色した場合のビルドアツプ性(染料の吸収能力)、染料吸収速度、染着量においてポリエチレンテレフタレート繊維よりはるかにすぐれ、特に摂氏一〇〇度常圧染色においてその差が著しく、また、被告共重合体繊維を摂氏一〇〇度常圧染色法で染色した場合においても、ポリエチレンテレフタレート繊維を高温(一二〇度)染色法、キヤリアー染色法で染色した場合とほぼ同じ程度の良好な染色性を示すこと。

(ニ)被告共重合体繊維が右のごとき染色性をそなえているのは、その繊維構造自体にもとづくものであつて、特殊な処理を施された結果ではないこと。そのほか、<証拠>を総合すると、被告共重合体繊維の方がポリエチレンテレフタレート繊維より耐ピリング性においてすぐれていることが認めらるのであつて、以上認定の各事実からすると、高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルのかわりに被告共重合体を出発物質として用いることにより、同一の作用効果がもたらされるものとは認められないといわなければならないのである。

そうだとすると、前記予測可能性の要件の存否にかんにかかわりなく、(イ)号紡糸方法は甲特許紡糸方法と均等の方法ではないというべきである。

(ⅰ)予測可能性  のみならず、かりに右置換可能性の要件が、高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルのかわりに被告共重合体を置き換えることによつて類似の作用効果を生ずる場合をも含むとしても、そのような類似の作用効果が生ずることを、乙特許優先権主張日当時における平均水準の技術家が容易に推考しえたものと認めることもできないのである。すなわち、一九四一年(昭和一六年)七月二九日当時すでに、若干の具体例から共縮重合反応によつて線状共重合体が得られることが知られており、実験結果にもとづいてそれら特定の共重合体の構造、性質がある程度明確にはされていたけれども、そのような知見にもとづいて右当時における平均水準の専門家が、テレフタール酸とイソフタール酸(モル比九〇〜八五対一〇〜一五)とエチレングリコールとから共縮重合体を得ることができ、しかもその共重合体が実用的繊維を形成しうる程度の結晶性、融点、耐溶剤性等を有することを容易に推考しえたものと認めることができないことは前記のとおりであつて、しかも本件において取り調べた全証拠によるも、乙特許の優先権主張日である一九四五年(昭和二〇年)九月二四日までに、共縮重合反応による高重合体の生成に関して一九四一年当時における右のごとき知見よりも新たな知見が公知となつていたことを認めることはできないから、乙特許の優先権主張日当時において、右の点に関してはほぼ同様の技術水準にあつたものというよりほかはない<証拠>によると、被告共重合体が発明されてその物質特許について米国特許局へ出願がなされたのは、ようやく一九五四年三月二日のことであつて、それまでは被告共重合体は未知の物質であつたことが認められる。そうだとすると、乙特許紡糸方法の出発物である高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルを被告共重合体と取り換えることができること、さらにそれはよつて乙特許紡糸方法と類似の作用効果を生ずることを、乙特許優先権主張日当時における平均水準の専門家が容易に推考しえたものとはとうてい認めることができないるである。

はたしてしからば、出発物として高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルのかわりに被告共重合体を用いることが、前記置換可能性、予測可能性の要件をみたすものでないことは明らかであるから、(イ)号紡糸方法が乙特許紡糸方法と均等の方法であると認めることはできないのである。

(三) ((イ)号紡糸方法は乙特許紡糸方法を利用するものであるか)

なお、原告は、(イ)号紡糸方法は乙特許紡糸方法を利用することによりこれを侵害していると主張するので、最後にこの点について考えるに、(イ)号紡糸方法が乙特許紡糸方法を利用することによつてこれを侵害するものであるかどうかは、乙特許紡糸方法を実施することなしには、(イ)号紡糸方法を実施することができないという関係が成立するかどうか、つまり、(イ)号紡糸方法が乙特許発明の要旨ないしはその技術的範囲に属する紡糸方法をそつくりそのまま含むかどうかによつて決せられるものというべきところ、(イ)号重合方法における出発物である被告共重合体が、乙特許紡糸方法における出発物である高重合ポリメチレンテレフタール酸エステルと化学構造を異にする別物質であることは前記のとおりであるから、(イ)号紡糸方法が乙特許発明の技術的範囲に属する紡糸方法をそつくりそのまま含むものでないことは明らかである。すると、(イ)号紡糸方法はなんら乙特許紡糸方法を利用することによつてこれを侵害するものではないといわなければならない。

八  (結 論)

以上のとおりであるとすると、(イ)号重合方法が甲特許を侵害しまた、(イ)号紡糸方法が乙特許を侵害するものとはいずれも認められないから、原告の本訴請求は、いずれも失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴八九条を適用して主文のとおり判決する。(石崎甚八 藤原弘道 長谷喜仁)

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